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かつてのFSSはアニメ誌に連載されている漫画にも関わらず子供の出る幕なんてない話だった。
主人公ソープの地球年齢で21歳という設定は現在の基準でも高めの年齢だ。コーラスサード、カイエン、ミューズ、アイシャ、ブラフォードなど各話の主役級キャラも軒並み成人で妻帯者だったり子持ちだったりする。
アニメは子供が主役の話が今も昔も圧倒的に多い。それが戦争を舞台にした物語であっても、少年少女が中心となり、戦士として戦う。これはロボットアニメというジャンルは子供がロボットという力で大人に優越するのがその基本にあるからだ。
FSSは神と悪魔と人間と妖精の繰り広げるおとぎ話だが、基本的にはロボット兵器による戦争ドラマでプロフェッショナルな大人の活躍する話だ。幼い外見のファティマだって本性はコンピュータなので未熟さなど微塵も感じさせないプロフェッショナルである。
しかし、第5話からは世代交代も兼ねて本来活躍する年代から先行して登場した少年少女の物語が織り込まれるようになった。
映画「花の詩女 ゴティックメード」も16,7歳の少年少女が現実を知り、大人になる為の最初の一歩を踏み出す話ととらえることもできる。ただ、その道のりを描くだけで一つの壮大な物語になるだろうところを大業を成し遂げた未来の姿と年表の記述ですませてしまうところがいかにもFSSらしい。
そしてその映画の最後にはもう一つの現実が突きつけられる。遠い未来、聖宮ラーンに降り立ったフィルモア皇帝に付き従うファティマ・エストの存在だ。
彼女にまつわる一人の男の悲劇的な少年時代の物語が今も続いている。
ヨーン・バインツェルがミラージュ騎士になるまでを少年期から描くというのは初期の構想からあった。(実際に始まるまでにはずいぶんと時間がかかったが、FSSにはよくある話だ。)
庶民の出の少年が主人公格のミラージュ騎士、それも中心人物になる立身出世物語。
しかしそこで描かれるのは勝利と栄光ではなかった。
GTMのために騎士を探し求める恐怖のファティマ・エストのかりそめの姿でしかないバーシャに執着し、それを人生を棒に振って追い求め、自分からバーシャを奪ったデコース・ワイズメルの打倒を企てる。
「デコース・ワイズメルは僕が倒す」
普通の漫画ならよく見かけるこのフレーズもFSSにはあまりにも似合わない。
ミラージュ騎士はプロフェッショナルの集団だ。主ただ一人に忠誠を近い、その命令を忠実に実行する。それが人の道を外れた大虐殺だったとしても。
子供が憧れるような正義のヒーローではない。
「騎士は忠誠に足る主に自らの力を預けるもの」という考え方が物語の基本にあるのだ。
いわゆる多くの物語にあるヒーローのように自由で巨大な組織に組せず、それでいて強大な力を持っていて、それを弱者の為に使う。
それがFSSにおいては、騎士として間違った生き方と定義される。
作中でそんな真似をしていたのは自分の出自に絶望し死に場所を求めて手抜きで生きていた放蕩時代のカイエンくらいだったが、彼もまた晩年は詩女ムグミカに力を預け、騎士として死んだ。
「僕は騎士になんかならない。汚い騎士の剣なんて持つものか」
ヨーンの物語は現実を知り、自分の運命を受け入れる物語だ。
ヨーンはきっとデコースに勝てないし、バーシャを取り戻すことも出来ない。
彼が大人になるためにも、そうあってはならないのだ。
そして、ヨーンと近い距離に子供らしさを残したキャラがまだいる。
騎士としてはあまりにも弱く、それでも重すぎるコーダンテ家の名を背負って奮闘するちゃあ・ティ。
そして彼らより年下でヨーンと同じく騎士でありながら剣を取ることを拒むノルガン・ジークボゥ。
それぞれの思いを持って過酷な戦場に飛び込んだちゃあとジークボゥを待ち受けるものは何か。
子供たちは思い通りにならない世界でどんな道を見つけるのだろう。
主人公ソープの地球年齢で21歳という設定は現在の基準でも高めの年齢だ。コーラスサード、カイエン、ミューズ、アイシャ、ブラフォードなど各話の主役級キャラも軒並み成人で妻帯者だったり子持ちだったりする。
アニメは子供が主役の話が今も昔も圧倒的に多い。それが戦争を舞台にした物語であっても、少年少女が中心となり、戦士として戦う。これはロボットアニメというジャンルは子供がロボットという力で大人に優越するのがその基本にあるからだ。
FSSは神と悪魔と人間と妖精の繰り広げるおとぎ話だが、基本的にはロボット兵器による戦争ドラマでプロフェッショナルな大人の活躍する話だ。幼い外見のファティマだって本性はコンピュータなので未熟さなど微塵も感じさせないプロフェッショナルである。
しかし、第5話からは世代交代も兼ねて本来活躍する年代から先行して登場した少年少女の物語が織り込まれるようになった。
映画「花の詩女 ゴティックメード」も16,7歳の少年少女が現実を知り、大人になる為の最初の一歩を踏み出す話ととらえることもできる。ただ、その道のりを描くだけで一つの壮大な物語になるだろうところを大業を成し遂げた未来の姿と年表の記述ですませてしまうところがいかにもFSSらしい。
そしてその映画の最後にはもう一つの現実が突きつけられる。遠い未来、聖宮ラーンに降り立ったフィルモア皇帝に付き従うファティマ・エストの存在だ。
彼女にまつわる一人の男の悲劇的な少年時代の物語が今も続いている。
ヨーン・バインツェルがミラージュ騎士になるまでを少年期から描くというのは初期の構想からあった。(実際に始まるまでにはずいぶんと時間がかかったが、FSSにはよくある話だ。)
庶民の出の少年が主人公格のミラージュ騎士、それも中心人物になる立身出世物語。
しかしそこで描かれるのは勝利と栄光ではなかった。
GTMのために騎士を探し求める恐怖のファティマ・エストのかりそめの姿でしかないバーシャに執着し、それを人生を棒に振って追い求め、自分からバーシャを奪ったデコース・ワイズメルの打倒を企てる。
「デコース・ワイズメルは僕が倒す」
普通の漫画ならよく見かけるこのフレーズもFSSにはあまりにも似合わない。
ミラージュ騎士はプロフェッショナルの集団だ。主ただ一人に忠誠を近い、その命令を忠実に実行する。それが人の道を外れた大虐殺だったとしても。
子供が憧れるような正義のヒーローではない。
「騎士は忠誠に足る主に自らの力を預けるもの」という考え方が物語の基本にあるのだ。
いわゆる多くの物語にあるヒーローのように自由で巨大な組織に組せず、それでいて強大な力を持っていて、それを弱者の為に使う。
それがFSSにおいては、騎士として間違った生き方と定義される。
作中でそんな真似をしていたのは自分の出自に絶望し死に場所を求めて手抜きで生きていた放蕩時代のカイエンくらいだったが、彼もまた晩年は詩女ムグミカに力を預け、騎士として死んだ。
「僕は騎士になんかならない。汚い騎士の剣なんて持つものか」
ヨーンの物語は現実を知り、自分の運命を受け入れる物語だ。
ヨーンはきっとデコースに勝てないし、バーシャを取り戻すことも出来ない。
彼が大人になるためにも、そうあってはならないのだ。
そして、ヨーンと近い距離に子供らしさを残したキャラがまだいる。
騎士としてはあまりにも弱く、それでも重すぎるコーダンテ家の名を背負って奮闘するちゃあ・ティ。
そして彼らより年下でヨーンと同じく騎士でありながら剣を取ることを拒むノルガン・ジークボゥ。
それぞれの思いを持って過酷な戦場に飛び込んだちゃあとジークボゥを待ち受けるものは何か。
子供たちは思い通りにならない世界でどんな道を見つけるのだろう。
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