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今回はネットの情報の見方について話したいと思います。
例として取り上げるのはテレビの人気企画、鳥人間コンテストにパイロットとして出場し、大会中の事故で大きな後遺症を負った女性が、テレビ局、大学、サークル幹部などの提訴に踏み切ったという話題です。
発端は女性自身の記事を元にしたYahooニュースの記事
鳥人間コンテストを提訴「落下の衝撃で動けない身体に…」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130622-00010001-jisin-soci
それが2ちゃんねるに転載され
【社会】『第31回鳥人間コンテスト』に出場した女性が読売テレビなどを提訴 「落下の衝撃で『脳脊髄液減少症』を患い動けない身体に」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1371852454/
それを大手2chコピペサイトが編集
鳥人間コンテストで落下し後遺症を患った女性、4305万円の支払い求めテレビ局などを提訴
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1765590.html
2chコピペサイトは様々な情報をまとめているネット上のマスコミのようなポジションになっていますが
2chをニュースソースにしていることで、そもそもの情報に偏りが発生する上に、閲覧数を上げる為に扇情的な編集を施す傾向が強いです。
『イエロージャーナリズム』という言葉があります。
新聞の発行部数等を伸ばすために、「事実報道」よりも「扇情的である事」を売り物とする形態のジャーナリズムのこと(wikipediaより)を指します。この手法はそのままネットメディアでも通用しています。
編集元の書き込み自体も編集される記事に対するコメントもその場の感情に任せたようなものが多く、
結局それらの情報は娯楽として消費されるだけで、事象を判断する根拠とするには非常に弱いものです。
つまりは、コピペサイト程度の情報で満足してしまう人は初めからその情報に関心があるわけではないと言ってしまってもいいでしょう。
情報の真偽は大した問題ではなく、与えられた情報に感情を揺さ振られて、それを発散出来ればそれでいいというわけです。ここでは情報はただの玩具なのです。
でも、それでいいんでしょうか。
私は、学生時代新聞配達をしていた頃、販売店の店長に、新聞は複数の紙面を見比べて読むものだと教わりました。
それぞれの新聞で書き手が違えばニュースの捉え方も違ってくるからです。
新聞、テレビからネットの書き込みに至るまで、意見というものは常に発言者の意図を背負っており、完全に中立公平というものはありません。(ネット上の匿名での書き込みの場合は、発言者の背景が即座にわからないので、それが正当な意見なのか、わざと極端なことを言って場を紛糾させる煽りや会話の進行を撹乱する荒らしなのかという、根本的な属性の判断まで求められます)
一方向から見て形を判断するのと、二方向、三方向から見て形を判断するのとでは大きな差が出ます。
極端な話それがまったく別の形だと気づくことにもなりうるのです。
それに何の意味があるのか?
自分の好きな主張を正しいものだと選別し、それに寄りかかればいいのでしょうか。
そうではありません。
他者から与えられるすべての情報は、判断の材料でしかないのです。
判断材料を使って考えて、自分の意見を持つことが何より大事なのです。
今回例に挙げた鳥人間コンテスト事故の訴訟ニュースについて、別の方向からの意見を見つけることが出来ました。
上で例に挙げたまとめが取り上げていない鳥人間コンテスト識者及び当事者の発言をまとめたものです。
これもまとめである以上、既に恣意的な編集がされています。
しかし事象に関して別方向の視点であることは確かでしょう。
鳥人間コンテストの事故について、鳥人間の立場から考える
http://togetter.com/li/522387
鳥人間コンテストの事故について、当人のTL
http://togetter.com/li/522413
この情報の違いからあなたはどんな意見を見いだしますか?
インターネットは検索によって欲しい情報が簡単に見つけられる便利な道具ですが、その安易さは今や大きな罠でもあるのです。
与えられた一面的な情報を消費するだけに終わることは、人生を豊かにする理解のチャンスを失っているということなのです。
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例として取り上げるのはテレビの人気企画、鳥人間コンテストにパイロットとして出場し、大会中の事故で大きな後遺症を負った女性が、テレビ局、大学、サークル幹部などの提訴に踏み切ったという話題です。
発端は女性自身の記事を元にしたYahooニュースの記事
鳥人間コンテストを提訴「落下の衝撃で動けない身体に…」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130622-00010001-jisin-soci
それが2ちゃんねるに転載され
【社会】『第31回鳥人間コンテスト』に出場した女性が読売テレビなどを提訴 「落下の衝撃で『脳脊髄液減少症』を患い動けない身体に」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1371852454/
それを大手2chコピペサイトが編集
鳥人間コンテストで落下し後遺症を患った女性、4305万円の支払い求めテレビ局などを提訴
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1765590.html
2chコピペサイトは様々な情報をまとめているネット上のマスコミのようなポジションになっていますが
2chをニュースソースにしていることで、そもそもの情報に偏りが発生する上に、閲覧数を上げる為に扇情的な編集を施す傾向が強いです。
『イエロージャーナリズム』という言葉があります。
新聞の発行部数等を伸ばすために、「事実報道」よりも「扇情的である事」を売り物とする形態のジャーナリズムのこと(wikipediaより)を指します。この手法はそのままネットメディアでも通用しています。
編集元の書き込み自体も編集される記事に対するコメントもその場の感情に任せたようなものが多く、
結局それらの情報は娯楽として消費されるだけで、事象を判断する根拠とするには非常に弱いものです。
つまりは、コピペサイト程度の情報で満足してしまう人は初めからその情報に関心があるわけではないと言ってしまってもいいでしょう。
情報の真偽は大した問題ではなく、与えられた情報に感情を揺さ振られて、それを発散出来ればそれでいいというわけです。ここでは情報はただの玩具なのです。
でも、それでいいんでしょうか。
私は、学生時代新聞配達をしていた頃、販売店の店長に、新聞は複数の紙面を見比べて読むものだと教わりました。
それぞれの新聞で書き手が違えばニュースの捉え方も違ってくるからです。
新聞、テレビからネットの書き込みに至るまで、意見というものは常に発言者の意図を背負っており、完全に中立公平というものはありません。(ネット上の匿名での書き込みの場合は、発言者の背景が即座にわからないので、それが正当な意見なのか、わざと極端なことを言って場を紛糾させる煽りや会話の進行を撹乱する荒らしなのかという、根本的な属性の判断まで求められます)
一方向から見て形を判断するのと、二方向、三方向から見て形を判断するのとでは大きな差が出ます。
極端な話それがまったく別の形だと気づくことにもなりうるのです。
それに何の意味があるのか?
自分の好きな主張を正しいものだと選別し、それに寄りかかればいいのでしょうか。
そうではありません。
他者から与えられるすべての情報は、判断の材料でしかないのです。
判断材料を使って考えて、自分の意見を持つことが何より大事なのです。
今回例に挙げた鳥人間コンテスト事故の訴訟ニュースについて、別の方向からの意見を見つけることが出来ました。
上で例に挙げたまとめが取り上げていない鳥人間コンテスト識者及び当事者の発言をまとめたものです。
これもまとめである以上、既に恣意的な編集がされています。
しかし事象に関して別方向の視点であることは確かでしょう。
鳥人間コンテストの事故について、鳥人間の立場から考える
http://togetter.com/li/522387
鳥人間コンテストの事故について、当人のTL
http://togetter.com/li/522413
この情報の違いからあなたはどんな意見を見いだしますか?
インターネットは検索によって欲しい情報が簡単に見つけられる便利な道具ですが、その安易さは今や大きな罠でもあるのです。
与えられた一面的な情報を消費するだけに終わることは、人生を豊かにする理解のチャンスを失っているということなのです。
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