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誰だって今が最善とは限らない。
生き延びる為に出来る精一杯のことを必死でやってるだけだ。だから生き延びられる。
その積み重ねが栄光につながる。一度手が届けば今度はそれを維持する為に、また今を必死で生き延びる。
その繰り返し。

まだ手も届いてない最善の栄光を夢想して現在を否定したら、足場を積み重ねてもいないのに空の星に手が届くわけがない。

現状に甘んじない向上心は大事だけど、それが極端過ぎる場合はすべての手段が未熟で不完全だと断じてしまい、現在を生き延びることさえ出来なくなる。

「明日」を夢見ても、「今」にしか生きられないのだ。
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現在は過去の延長線上にあり、未来は今の積み重ねの先にある。
過去を否定することも、未来を悲観することも現在に悪影響を与える。

未来の為にも、今を考えることをおろそかにしてはいけない。
かつてのFSSはアニメ誌に連載されている漫画にも関わらず子供の出る幕なんてない話だった。
主人公ソープの地球年齢で21歳という設定は現在の基準でも高めの年齢だ。コーラスサード、カイエン、ミューズ、アイシャ、ブラフォードなど各話の主役級キャラも軒並み成人で妻帯者だったり子持ちだったりする。

アニメは子供が主役の話が今も昔も圧倒的に多い。それが戦争を舞台にした物語であっても、少年少女が中心となり、戦士として戦う。これはロボットアニメというジャンルは子供がロボットという力で大人に優越するのがその基本にあるからだ。

FSSは神と悪魔と人間と妖精の繰り広げるおとぎ話だが、基本的にはロボット兵器による戦争ドラマでプロフェッショナルな大人の活躍する話だ。幼い外見のファティマだって本性はコンピュータなので未熟さなど微塵も感じさせないプロフェッショナルである。

しかし、第5話からは世代交代も兼ねて本来活躍する年代から先行して登場した少年少女の物語が織り込まれるようになった。

映画「花の詩女 ゴティックメード」も16,7歳の少年少女が現実を知り、大人になる為の最初の一歩を踏み出す話ととらえることもできる。ただ、その道のりを描くだけで一つの壮大な物語になるだろうところを大業を成し遂げた未来の姿と年表の記述ですませてしまうところがいかにもFSSらしい。

そしてその映画の最後にはもう一つの現実が突きつけられる。遠い未来、聖宮ラーンに降り立ったフィルモア皇帝に付き従うファティマ・エストの存在だ。

彼女にまつわる一人の男の悲劇的な少年時代の物語が今も続いている。

ヨーン・バインツェルがミラージュ騎士になるまでを少年期から描くというのは初期の構想からあった。(実際に始まるまでにはずいぶんと時間がかかったが、FSSにはよくある話だ。)
庶民の出の少年が主人公格のミラージュ騎士、それも中心人物になる立身出世物語。
しかしそこで描かれるのは勝利と栄光ではなかった。

GTMのために騎士を探し求める恐怖のファティマ・エストのかりそめの姿でしかないバーシャに執着し、それを人生を棒に振って追い求め、自分からバーシャを奪ったデコース・ワイズメルの打倒を企てる。

「デコース・ワイズメルは僕が倒す」
普通の漫画ならよく見かけるこのフレーズもFSSにはあまりにも似合わない。

ミラージュ騎士はプロフェッショナルの集団だ。主ただ一人に忠誠を近い、その命令を忠実に実行する。それが人の道を外れた大虐殺だったとしても。
子供が憧れるような正義のヒーローではない。
「騎士は忠誠に足る主に自らの力を預けるもの」という考え方が物語の基本にあるのだ。
いわゆる多くの物語にあるヒーローのように自由で巨大な組織に組せず、それでいて強大な力を持っていて、それを弱者の為に使う。
それがFSSにおいては、騎士として間違った生き方と定義される。

作中でそんな真似をしていたのは自分の出自に絶望し死に場所を求めて手抜きで生きていた放蕩時代のカイエンくらいだったが、彼もまた晩年は詩女ムグミカに力を預け、騎士として死んだ。

「僕は騎士になんかならない。汚い騎士の剣なんて持つものか」

ヨーンの物語は現実を知り、自分の運命を受け入れる物語だ。
ヨーンはきっとデコースに勝てないし、バーシャを取り戻すことも出来ない。
彼が大人になるためにも、そうあってはならないのだ。


そして、ヨーンと近い距離に子供らしさを残したキャラがまだいる。
騎士としてはあまりにも弱く、それでも重すぎるコーダンテ家の名を背負って奮闘するちゃあ・ティ。
そして彼らより年下でヨーンと同じく騎士でありながら剣を取ることを拒むノルガン・ジークボゥ。
それぞれの思いを持って過酷な戦場に飛び込んだちゃあとジークボゥを待ち受けるものは何か。

子供たちは思い通りにならない世界でどんな道を見つけるのだろう。
星団歴のジョーカー星団の社会システムは資本主義のようだけれど、その8000年ほど前のAD世紀、人類が集合生命体という形態を目指したという超帝国ユニオが支配する星団は一体どんな世界だったのだろう。

トレーサーEx1の解説によると蟻や蜂に例えられていた。
女王蟻に相当する女皇帝、ユニオが、単体で働き蟻に当たる騎士やボルテッツを生み出す。生み出された騎士はその強力さゆえに生殖能力もない。そういう世界で個人の幸せというものはどこにあったのだろう。
剣聖カイエンの母、ヤーン・ダッカス王女は剣聖スキーンズに競走馬のように品種改良され、子供を残す事も許されない騎士の事を悲しげに語った。(彼女だけが子供を産めた。なぜなら彼女が次のユニオだったから)

超帝国ユニオは、おそらく女王の無事がすなわち種族の維持になる社会だ。それはつまり個人が財産などの物質的な所有をすることに意味がない状態、国民全体が種族の発展のためだけに存在する社会だろう。それができたから人類史上最高のハイパーテクノロジーを獲得するに至ったのではないだろうか。

そんな非人道的な社会の頂点に立つ女皇帝ヘリオス・ナインが人類の未来を真に案じ、神という人界の異物と対峙する偉大な人物であることもまた事実なのだが。

そういう社会から派生した、あるいは超帝国そのものであるのがシステム・カリギュラならば、その行動原理が物欲でも権勢欲でも支配欲でもなく知識欲であり、国家の執事と称して歴史の裏で暗躍し様々な国家に戦争のための力を貸し与えたり、究極の破壊兵器バスターランチャーを使用することに躊躇しなかったりと、我々とはかけ離れた想像を絶する恐るべき考え方をする集団であるというのもうなづける話ではある。


「詩女ベリン、皇子トリハロン、ずっと君たちを見ていたよ。生き残った君たちの勝ちだ。私たちが帰ってくる1500年後、そして3000年後、この世界にはどんな種がまかれ、そして君たち2人の作る花壇にはどんな花が咲くのでしょうね…。それを…見てみたいな」


エルディアイ・ツバンツヒ。「花の詩女 ゴティックメード」と「ファイブスター物語」を繋ぐ者。

システム・カリギュラの一員でありながら、自分たちの契約相手の狙うトリハロンとベリンに興味を持ち、堂々と派手なスーパーカーで集落に乗り付けて、目視出来る距離から彼らの旅を観察したり、契約者の失敗にも動じる事なく、2人の行く末の遥か先まで思いを馳せていた。

彼女の出現によって物語は一気に一時のボーイミーツガールから3000年の時を超えた壮大な物語へと変わった。
それこそまさにFSSの真骨頂である。

スクールデザインズなどで事あるごとに彼女を推していたのは、それだけ重要かつ大事にしていきたいキャラだったという事なのだろう。

そんな彼女が2500年の時を超えて、遂にFSSの本編に「帰ってくる」。
そして、これからどうなるのかは既に予告されている。
能力面では星団暦の騎士やガーランドに対し圧倒的優位を誇る脅威のポリメリゼーション・キャスターとしての力はおそらく次回明らかになるだろう。
任務で潜入した先で出会った人々の思いを知り、ミラージュ騎士になる。
女子高生にもなる。
アマテラスに付き合い、物語の終わりまで共に歩む。

これだけ何が起こるかわかっているのに、実際に読むのが楽しいのがFSSというものの面白さの特異な一面といえよう。
長年物語の顔であったモーターヘッドのデザインを捨て去り、ゴティックメードとともに新生したFSSだったがその一方で原点回帰とも言える動きも見せている。

・ゴティックメードにおける射撃戦の導入
ニュータイプ5月号の連載再開によってモーターヘッドがゴティックメードに変わったという事実はあまりにも衝撃的だった。その再開1話目のエピソードは「今までとは違う」ということの主張を最大限に意識して描かれている。オートマチックフラワーズ、アシリアセパレート、そしてガットブロウによる射撃戦である。映画「花の詩女 ゴティックメード」でもモーターヘッドのように剣で切り掛かるGTM戦は描かれていたが、今回はあえて射撃戦のみを描いた。

第3話以降、RPGの流行に影響を受けたFSSはスターウォーズの影響から始まった光剣から離れ、日本刀などの実体剣による戦闘にシフトしていった。
そんな騎士ロボによる格闘戦路線も大規模な集団戦を描いた魔導大戦のフィルモアVSメヨーヨ戦で極まった感がある。
またモーターヘッド終了の一因にもなったと予想される事だが、ライトセーバーやビームサーベルはとうに廃れ、実体剣を持ち格闘戦を行うロボットも一般化した。

元々FSSにはパイドルスピアという武器の設定があり、3960年にジュノーでヤクトミラージュ・グリーンレフトが破壊されたのもこの武器の広角射撃が威力を発揮したという説もある。
もっと言えばLEDミラージュの主力武器は剣ではなく火炎放射器である。
またバスターファウストを装備したクロスミラージュのビジュアルなどもあることからも、モーターヘッドはただ剣劇をこなすだけのロボットだという意識は、そもそも永野護の中にはなかったのではないだろうか。

AUGE VS エンゲージSR1の戦いに乱入したエンゲージSR3は腕にランチャーを装備して射撃を行っていた。これをエルガイムオマージュのファンサービスととることもできようが、ある種射撃戦導入に向けての実験のようにも見えなくもない。
12巻まで描いてきて当初のスタート地点からだいぶ離れていたのをデザインの変更とともにリセットしたのではないかと感じる。

・AFシェル内のファティマ
モーターヘッドではファティマは頭部の中で着座してコンソールのキーボードを弾いて制御を行っていた。
それがゴティックメードではあたかも磔になったかのような状態で制御を行っている。
これは永野が描いたイラスト「デスアンカー」としても知られる、ヘビーメタルのシンボライズド・コンピュータの描写である。

第6話パート3のact2においてイーストハスハに飛来したGTMゲートシオン・マーク2(これまたエルガイムMk-2のGTM版という姿)の額には、中にいるAFオーハイネのシルエットが浮かび上がるという描写もされていた。

この描写は「重戦機エルガイム」の世界観の根幹を作った永野護と映像作品の監督である富野由悠季の二重性によって闇に葬られたものである。それが今こうして蘇ってきたのも永野の原点回帰を感じさせる。

・ファイアウィッチの復活
最後にファイアウィッチの話をしようと思う。ファイアウィッチとは1986年に発表されたカレンダーに描かれた破壊の魔女である。FSSにおいては第1話にわずかな出番があった。
死してなおアマテラスを見守る最初の妻、メル・クール・リトラー。あの派手な姿がファイアウィッチのイメージである。
第1話でソープがラキシスを迎えた事で役目を終えたはずの彼女がここに来てクローズアップされた。

「あらたまの詩女」
「炎の使者 あらたま」
ニュータイプ誌の付録カレンダーで初登場し、FSSトレーサーEx2で公開された名は、読むものを幻惑させるような解説文によって、彼女は何者なのかという大きな謎を残した。
また連載休止後に発表されたスクールデザインズにもリトラの記述はあった。(この手帳、ただのファングッズと思わせておいて現在の設定改変に踏み込んだ記述も早いうちから散見される書物なのだ)

現在公式サイトに掲載されているアマテラスの帝の解説文に
”聖宮ラーンが全力で送り込んだ「あらたまの詩女」を妻とし"
とあるように、連載再開によって公開された新たな情報が忘れられていたリトラを再びFSSに呼び戻した。

聖宮ラーンに関しては未だ語られていない部分が多い。
またアマテラスという、人間の世界に出現した異物、「光の神」とは何者なのか。
リトラの存在がこれからの物語に与える影響は大きいだろう。


9年の長きに渡る休載中、永野は物語の動脈硬化を起こしつつあったFSSに新たな息吹を吹き込む為の様々な試みを行っていた。
その結実として映画「花の詩女 ゴティックメード」が存在する。
新生FSSのプロローグとしての映画であり、新デザイン「ゴティックメード」のデモンストレーション。
構造、動き方、音、機能、それらを余す事なく映像で表現する事が目的。ロボ描写が少ない、戦闘シーンが短いと言われようが、必要はすべて満たしているのだ。
ロボットチャンバラを見せるのが目的ではないのだ。(最もそれに近いオージェVSアパッチ戦を書き終えた後にこんなのただのロボット漫画だと永野はぼやいている)

FSSの連載開始の1年前に描かれた永野の漫画デビュー作「フール・フォー・ザ・シティ」はコンピューターに管理され、ロックミュージックが禁止された社会に生きるミュージシャンが禁止された文化を守り伝える「継承者(サクセサー)」とともにロックの復活を目指す物語だった。しかし彼らは最終的にロックの復活よりも自分なりの音楽の創造にシフトしていった。(マシンチャイルド・ログナーはそれを「馬鹿は馬鹿なりに」と評した)

一般化し、古典となったモーターヘッド・デザインの継承者でいる事を拒み、ゴティックメードを創造する永野の行為はデビュー作で発したメッセージそのものだ。

原点回帰し、過去から蘇ってきたイメージとともに作り替えられた世界を最新のデザインが躍動する。
変わっていくものと変わらないものが入り交じりながら、FSSはこれからも続いていく。
去年の12月に右目の下半分の視界ががぼやけていたことに気づいて
原因をはっきりさせようと、今日眼科へ行って検査してもらった結果、
緑内障と診断された。

進行性の病気だけれど目薬をさすことで進行を抑えられるらしい。

自分の場合、たまたま片目で物を見て偶然異変に気づいたのだけれど
両目でものを見ている時には視力は悪いにしても
視野が欠けるような事はなかったので驚くばかりである。

人間よく出来たもので片側の不具合はもう片方が補ってくれるのだという。
だが、それが仇となって症状に気づくのが遅れる場合もあるという。

目は生きていくために、世界を感じる為にとても大事なものなので、
この病気とも上手に付き合って、視力を維持していくしかないのだろう。

みなさんもお気をつけて。

・緑内障啓発サイト(自己チェックもできます)
http://www.ntg40.jp/index.html

・視野が欠けるってどういうこと?
(視野が欠けると言ってもブラックアウトするわけではなく、ぼやけて見えるのです)
http://www.saito-eye.jp/ryokunaisyou.pdf
April 10, 2013. Through the public animation movie "Hana no Utame Gothicmade" of November last year, in the new series of "The Five Star Stories" has resumed monthly "Newtype" beyond the time of the last eight years.

The story began as a story that continues from the point at which it was suspended the series, from the Episode6 "Majestic Stand Part3" as notice for some time.

Was a major incident worldview "The Five Star Stories", which has been popular for many years, the story of the past that had been secretly replaces the view of the world "Hana no Utame Gothicmade" to accept what was waiting there, however.

Although some audience goodwill for the design Gothicmade and praise that is Mamoru Nagano, impact a robot that has been loved by many fans so far, Mortar Headd has changed Gothicmade mechanical variant many angry people, I gave emotional anxiety, and embarrassment.

The reaction is within the expected course author, as well Mamoru Nagano, is speaking in advance and may lose a fan of the series 99.9% by the restart.

Why did Nagano should change his design?

I think this is a revolution of the FSS it had already been decided at the time of the hiatuses of eight years ago. The modified settings were being announced as pioneering "FSS Designs1" set was released in 2005. Regardless of a book that summarizes the previous settings of the FSS, unlike tweak settings such as was previously the term of unknown meaning never weapons not heard in the FSS also be seen in the FSS bring discomfort went Designs As the overlap increases the number of turns.

What did they mean, and kind of discomfort that is sown is finally blossomed was finally published in 2012 "Hana no Utame Gothicmade". The hero of the FSS, Ladyous Sopp and Lachesis appeared first.Subsequently golden GTM "Magnapalace" appeared with thunder. The context of "The Five Star Stories" revealed at the end of the story.

"Hana no Utame Gothicmade" was the story of the times included in the chronology of "The Five Star Stories".
Everyone was convinced it's past events and the FSS, FSS and the story of a filtered so that the rubber maid tick.

But Mamoru Nagano threw the words.
"What is Gothicmade?"
"This mystery is have not been revealed yet."

Resume the series will be announced from the mouth of the author himself in the event in January 2013 from it.
In the April issue of "Newtype", which was released last month complaining too much hype is exaggerated dance to the plane just before the restart feature in this series.
There were quite a few people who expected to resume progress toward even among fans, leading to modification of this I think.

"The Five Star Stories" came back today. With the view of the world that have been updated to the latest design and its called "Assyria separate" and "Gothicmade".

However everything do not has changed. The story continues to proceed on the basis of chronology that have been published in more than 20 years ago still. Chronology has increasingly been retouched in detail each of the series reached a milestone, it does not shake its root.

The years 3159 the Planet Adler will burn in flames,
the year 3239 the Planet Calamity will collapse,
the year 3960 dynasty Chorus will perishe,
the year 4100 AKD will be overthrown by rebel forces,
and the year 7777 Lachesis and Amaterasu will meet again.

Story that Fatima and knights and "Gothicmade" endowed a sad fate to live in a fight, continue.

In hindsight, the episode "Prima Classe Hugtrang" before the last hiatuses Rogner told in the words of the Will was a message for change.

Willing to abandon the best of that time dared to go to the next has been found. What it is It's a top-notch.

It is said to decorate the end of the story of the FSS is that it is the word of the F · U · Rogner, Mortar Headd's story was over at that time by the word of Rogner.

"(Designer,Mamoru Nagano) Chasing your own!".
2013年4月10日。前年11月の劇場版長編アニメ「花の詩女 ゴティックメード」公開を経て、遂に月刊ニュータイプでのファイブスター物語の連載がじつに8年の時を超えて再開しました。

連載を休止した時点からストーリーはそのまま続くという、かねてからの予告通り「第6話マジェスティックスタンド・パート3」から物語は始まりました。

しかしそこで待ち受けていたものは長年親しまれてきたファイブスター物語の世界観が、これまでの物語はそのままに「花の詩女 ゴティックメード」の世界観にすり替えられていたという大事件でした。

これぞ永野護という賞賛やゴティックメードのデザインに対する好意の声も上がりましたが、これまで多くのファンに愛されてきたロボット、モーターヘッドが異形の機械ゴティックメードに変わってしまった衝撃は多くの人々に怒り、不安、困惑などの感情を与えました。

作者、永野護もその反応は当然予想のうちにあり、連載再開によって99.9%のファンを失うかもしれないと事前に発言しています。

なぜ永野護はこのような果断な行為に及んだのでしょうか。

今回のFSSの大変革は8年前の休載の時点で既に決まっていたことだと思っています。改変された設定は2005年に発売された設定集デザインズ1を嚆矢として周到に発表されていきました。FSSのこれまでの設定をまとめた本であるに関わらず、以前あったような設定の微調整とは異なる、FSSでは見たことも無い武器、FSSでは聞いたことも無い意味不明の用語がもたらす違和感はデザインズが巻数を重ねるにつれ増していきました。

そしてそれらが何を意味したのか、蒔かれた違和感の種は2012年遂に公開された「花の詩女ゴティックメード」で遂に花開いたのです。まず最初に現れたFSSの主人公ソープとラキシス、そして雷鳴とともに現れた黄金のGTM。そして物語の最後に明かされたファイブスター物語との関連。

「花の詩女ゴティックメード」はファイブスター物語の年表の中に含まれる時代の物語でした。
だからそれはFSSの過去の出来事だと、ゴティックメードというフィルターをかけたFSSの物語だとみんな思い込んでいました。

しかし2012年の末に放送された、映画の宣伝番組であるGTMポッドキャスト「まも☆しん」の最後で、永野護はファンに謎の言葉を投げかけました。
「ゴティックメードって何?」「この謎はまだ明かされていない」と。

それから2013年1月にイベントで作者自身の口から連載再開が発表されます。
先月発売されたニュータイプ4月号では連載再開直前特集で大げさ過ぎるくらいの煽り文句が紙面に踊りました。
ファンの間でも再開に向けた予想が進み、今回の改変に思い至る人も少なからずいました。

そして今日ファイブスター物語は帰ってきました。ゴティックメードとアシリアセパレートという最新のデザインとそのためにアップデートされた世界観とともに。

しかし何もかもが変わったわけではありません。物語は依然として20年以上前に公開された年表に基づいて進み続けています。年表は連載の節目を迎えるごとに加筆されディテールを増していますが、その根本が揺らぐことはありません。

アドラー星を炎で焼き尽くす3159年を、カラミティ星が崩壊する3239年を、コーラス王朝が滅ぶ3960年を、反乱軍によってAKDが打倒される4100年を、そして、天照とラキシスが再び巡り会う7777年を目指して進み続けます。

戦いの中で生きる悲しい宿命を持たされた騎士とファティマと、ゴティックメードの物語が続いていくのです。

今思えば、休載前の最後のエピソード「Prima Classe Hugtrang」(ヒュートランは超一流)で語られたログナーの言葉は変革へのメッセージだったのでしょう。

見いだした次へ進む為にその時点の最高傑作をあえて捨て去る意志。それこそが超一流なのだと。

FSSの物語の最後を飾るのはF・U・ログナーの言葉だと言われていますが、あの時モーターヘッドの物語はログナーの言葉によって終わったのです。
「(デザイナー、永野護よ)自分だけを追え!」と。
才能の原石はたくさんある。
しかしそれは磨かないと光り輝くことはない。
そして磨かれることなく原石のまま終わっていく者は多い。

勉強しよう。光り輝く為に。
自分の作った物に対するこんなんじゃだめだという感情。
一つは自分の求めるクオリティに達していないと感じるから。
もう一つは周りのものと見比べてこれでいいのかと不安になるから。
前者も実は後者に由来しているのかもしれない。
自分の作った物には自分が出る。
それを周りと見比べて、人気が出そうな要素を持っていない事に対するコンプレックスから
自分を否定して隠してしまう。

本当の自分を表現する勇気が持てずにいるのだ。
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